2010年5月30日日曜日

奥出雲 清聴庵

冷夏が懸念され、5月末でも何やらキリッと引き締まった空気、晴天の日曜日。久しぶりに夫婦別々のバイクでちょっとロングツーリングに行くことにしました。目的地は奥出雲のお蕎麦を食べに行くこと。あーあ、なんだかすっかり年寄りライダーだなぁ。

お百姓様には大変申し訳ないけど、こんなにもすっきり晴れ渡った空と強い日差しなのに、空気は清々しく引き締まり、まるで北海道のよう。バイクで走るのが本当に気持ちいい。 国道432号をひたすら北上します。山の木々も生まれたばかりの緑色。
庄原の手前、道の駅の「リストアステーション」に寄ります。ここは以前 収穫の秋:神石広域農道 でも触れたこだわりの品が並ぶお店。総領の町の陶芸、ガラス工芸、天然酵母のパン、そして、おいしそうな真面目に作った日本酒(花酔)が並びます。
前にも書きましたが、その20年物の古酒は本当においしそう。でも、今回も予算的に手がでず----

前回と全く同じく、ル・サンクさんの天然酵母パンで我慢します。でも、このパン屋さんの製品を買うだけでもここに来る価値はあると思います。他の天然酵母パンとは全然ちがう。小さくてもぎっちり充実のパンです。
庄原の市内でちょっと道に迷いつつも、さらに国道432号を北上、島根県に入ります。県境の王貫峠を越えればあとは数 kmで今回の目的地の阿部屋集成館。内谷川にかかる立派な趣のある橋を渡ります。
そこからあとは数百mで手打ち蕎麦「清聴庵」。

以前、偶然にもここを見つけ、それ以来2回目の訪問です。 このお蕎麦屋さんは本当にすごい。

まず、内谷川の清き流れとそこに覆いかぶさる圧倒されんばかりのモミジ、それを見下ろす渓流にお店がある(下の写真の右上端にお店が見えます)。清流の流れとカジカのコロコロという鳴き声がBGM。
席に着くとまず出されるこの蕎麦湯。とろとろ。「こいーのぅー」。お砂糖入れたら立派な和菓子になると思う。

メニューは割子蕎麦。1人前は3枚だけど、お腹がすいたので4枚にしちゃう。十割の田舎蕎麦。ほっぺたの奥がキュっとなるくらい蕎麦が濃厚。つけツユもおいしい。
でも、食べ始めたとたん、妻が「前と違う」とかぬかす。そうかなあ。前回同様濃厚で充実の蕎麦だけどなあ。----と思っていたら、ご主人が「今日はもう店じまいだから、この蕎麦も食べて」とさらに3枚持ってきてくれる。あれ、ちょっと雰囲気が違うね(左は最初に出された蕎麦、右は頂いた蕎麦)。頂いたほうのがつるつるしてる。

この清聴庵のすごいところ、その3は、蕎麦粉を水車で搗くこと。時間をかけてゆっくり。そうだ、だから粉が細かく挽けて十割でもボソボソしないんだ。あれ、比較すると最初に出された方がちょっと粗い食感-----。そうか妻は前回の来店時の、「十割でもツルツル」というのを覚えていたんだ。すると、ご主人が「いやー、今日は間違って石臼挽きの粉をこねちゃって」ということ。つまり、いつもは水車搗きの蕎麦(ツルツル)なんだけど、今日は間違って石臼挽きの蕎麦粉で打っちゃったということ。でもそれぞれ主張するところがあって、個性があって甲乙つけがたい。こんなの比較できる機会ってそうそう無いよ。結局こんなにたくさんの割子を頂きました。 わんこそば状態。
これがお店の奥に位置する水車小屋。今日はお休みしてたけど、前回の訪問時はここで蕎麦粉が搗かれてました。もうもうと舞うくらい細かい粉だったのを思い出しました。
清聴庵では、こがねみそ(なにやら麹が三倍らしい)と詠山窯さんの釉薬が美しい小鉢も所望。トマトが映えます。

2010年5月16日日曜日

トンカラリン

5月のとある快晴の日曜日、近いがゆえに伸ばし延ばしになっていた古代信仰遺跡「トンカラリン」探検に行くことにしました( 大埼上島、下島、タンデムのろのろツーリング も参照)。悪路らしいからセローで。

東広島駅から蚊無峠を越え、安芸津に向かいます。どこも田植えで忙しそう。途中で県道32号線を左折します(荒谷洋瓦さんの看板が出ているところ)。そのまま道なりに細い舗装道路を進みますが行けども行けどもそれらしき遺跡は無く-----

20分くらいは進んだでしょうか。へえ、こんな山奥にも小さな棚田があるんですね。
途中、農作業中の方に道を聞くと「トンカラリンは、もっとふもとの道を右に行く」とのこと。このままいくと竹原に出るらしい(えー、この細い道はいくつ山越えるの!)

いったん山を降り、県道から折れて間もなく現れるY字路を今度は右に行く。ああ、確かに洋瓦屋さんの工場があります。この工場の目の前のY字路を左に行くと、ありました、トンカラリンの案内板が。それによると「軽自動車ならいける。奥に転回場もある」とのことですが、道はこんな感じ(↓)。無理では---- 未舗装路になって間もなく右手にトンカラリンがありました。草に埋もれている。
どうやら、竪穴と横穴が奥で接続しているらしい。7世紀(!)頃つくられた、新羅を経由してもたらされた古代信仰の遺構らしいのですが、看板によると竪穴は龍神、横穴は白虎の住処で、それぞれが奥で接続するというもの(いま壁画公開で話題の、キトラ古墳と同じ配置ですね)。そしてそれを潜り抜けると厄落としの御利益があるらしい。なんかすごい!どうして観光地として、そして学術ソースとして、こんなにも朽ち果てちゃっているの? ともかく入口(本来ここは出口らしいけど)に行ってみる。ええ!ほとんど狸の穴。なんかいやだなあ。躊躇していると妻がさっさと入っていく----
奥は膝をついて進む感じ。いやー、一人なら絶対入らない。地震が起きたら崩れるよ----カビ臭いし----。変なコオロギみたいな虫もたくさんいる。でも妻はどんどん進む。
「びゃー!」と妻の悲鳴。こちらもびっくりして思わずひき返す。しこたま天井に頭をぶつける。なんなんだ!-----コウモリがいてびっくりしたらしい。
18 m進んで(看板によると)竜神の竪穴に到着。ここを垂直に登るのも結構きつい。
太った人はたぶん出れない。
いやー、なかなかすごい遺構でした。同じような、もっと大規模なものが熊本にもあるらしい。7世紀の古代信仰遺構がこんな近くにあって、お手軽に見学できるとは-----東広島、奥深し。

探検気分冷めやらぬ我々は、トンカラリン横の林道をさらに奥に進んじゃう。途中からセローでも行けないような道になり、それでも何ら登山道らしき、いや、もっと怪しい(この時、頭は完全に"川口探検隊"モードになっている)道が山奥に進んでいる。行かねば-----。

なに!この石垣は!山城の遺跡ですか! このような石垣が連なる川沿いの道を進む。うーむ、どの石垣の出来はすばらしいのですが、どうやら非常に古い「棚田」の跡のようです。それにしたって、この連なる棚田はどう見ても「隠し田圃」。
道なき道(というか藪)を1時間以上も進む。藪に埋もれながら、立派な石垣の跡が続きます。これらがみな棚田だったとして、その田んぼが生きていた時代にはどれだけ壮観だったことだろうと昔に思いを馳せます。


川の向こうに大規模な土塁が。この上流側は大きな窪地になっていて、川の水をいったん溜める構造になっているようです。 この土塁の下流側の中央には、なんとまたもやトンカラリンらしき横穴が!いえ、これは土塁の「放水口」でした。うーん、トンカラリンとほとんど同じ作り。これをみると、トンカラリンは、実は放水溝だったのでは---なんていうつまらない解釈が頭をよぎる。
それにしてもですよ!。このクソ山奥に、本当にち密に石を組んだ棚田や、そこに川の水を導く用水溝が作り上げられているのです。いったいいつの時代のものか知りませんが、ほとんど古代信仰に等しい労力のかけ具合です。昔の人ってすごいですね------
下山後は、安芸津のじゃがいも屋さんに寄る。今日はポテトサラダ(NHK男の食彩のレシピで)をつくって、ビールで乾杯。遺跡話で盛り上がりそうだ。