東広島駅から蚊無峠を越え、安芸津に向かいます。どこも田植えで忙しそう。途中で県道32号線を左折します(荒谷洋瓦さんの看板が出ているところ)。そのまま道なりに細い舗装道路を進みますが行けども行けどもそれらしき遺跡は無く-----
20分くらいは進んだでしょうか。へえ、こんな山奥にも小さな棚田があるんですね。
いったん山を降り、県道から折れて間もなく現れるY字路を今度は右に行く。ああ、確かに洋瓦屋さんの工場があります。この工場の目の前のY字路を左に行くと、ありました、トンカラリンの案内板が。それによると「軽自動車ならいける。奥に転回場もある」とのことですが、道はこんな感じ(↓)。無理では----
探検気分冷めやらぬ我々は、トンカラリン横の林道をさらに奥に進んじゃう。途中からセローでも行けないような道になり、それでも何ら登山道らしき、いや、もっと怪しい(この時、頭は完全に"川口探検隊"モードになっている)道が山奥に進んでいる。行かねば-----。
なに!この石垣は!山城の遺跡ですか! このような石垣が連なる川沿いの道を進む。うーむ、どの石垣の出来はすばらしいのですが、どうやら非常に古い「棚田」の跡のようです。それにしたって、この連なる棚田はどう見ても「隠し田圃」。
道なき道(というか藪)を1時間以上も進む。藪に埋もれながら、立派な石垣の跡が続きます。これらがみな棚田だったとして、その田んぼが生きていた時代にはどれだけ壮観だったことだろうと昔に思いを馳せます。
川の向こうに大規模な土塁が。この上流側は大きな窪地になっていて、川の水をいったん溜める構造になっているようです。 この土塁の下流側の中央には、なんとまたもやトンカラリンらしき横穴が!いえ、これは土塁の「放水口」でした。うーん、トンカラリンとほとんど同じ作り。これをみると、トンカラリンは、実は放水溝だったのでは---なんていうつまらない解釈が頭をよぎる。
それにしてもですよ!。このクソ山奥に、本当にち密に石を組んだ棚田や、そこに川の水を導く用水溝が作り上げられているのです。いったいいつの時代のものか知りませんが、ほとんど古代信仰に等しい労力のかけ具合です。昔の人ってすごいですね------
下山後は、安芸津のじゃがいも屋さんに寄る。今日はポテトサラダ(NHK男の食彩のレシピで)をつくって、ビールで乾杯。遺跡話で盛り上がりそうだ。
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